火水伝文 (真釣り)
仕事で体調を崩した時に日月神示と出会い、以来三日坊主の割に続いています。
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下つ巻 第三十二帖 (七四)
この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員気つけて呉れよ、役員の中にも出て来るぞ、金(かね)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。
八月三日、一二 ⦿ 。
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インフルエンザが大流行となっていますが、皆さんは大丈夫でしょうか?
私は年明け早々かかってしまい、予防注射をしていないせいか、だいぶ寝込んでしまいました。
まとまった時間が出来たので、例によって「火水伝文」を読み進めようかと思いましたが、初めて目にする文を頭の中で具体的に形で把握するのは、現代生活に侵された頭には、なかなか大変です。
こんな事もあろうかと、一緒に「火水伝文と○九十の理」(ひみつつたえふみとまこちのみち)白山大地 著 を購入してありました。
(この本は著者が我空徳生さんに直接お会いし、聴かれた話を基に自分の考えを書かれたものです。)
それによると火水伝文には、我々が知らない(忘れてしまった?)神と人との「真釣り」のシステムがあるようです。
人が生きる上での様々な選択で、神との「真釣り」を外す(自分の我を通す?)と、それに気付くよう神と人とに少しの苦しみ、「情けの苦しみ」を与えるそうです。
すぐにそれに気付いて選択を選び直せばよいのですが、全く気付かず誤った選択を選び続けていると、「めぐり」が増え続け、やがて病気や事故などの災難につながるということです。
ひふみ神示で言うところの、「借銭」でしょうか?
当たり前に存在したこの宇宙の地球で、人間の(自分の)意思でこれまで生きてきたと思っている私には、当たり前ですがそんなこと全く気付かないですよ!
だから、医者にかかり症状は治療しますが「めぐり」はずっと(前生からも)残ったままになってしまいます。
それでは現状の苦しみは、いつの「めぐり」が原因かもはや分からず、お手上げじゃないですか!
けれど対処は出来るようです。
病気での体の苦しみや、気持ちの苦しみで、誤った選択に気付いた時には、
神様と自分に苦しみを与えてしまったお詫びと、
大難になる前に気付かせてくれたことに心で感謝します。
そして新しく真釣りに合うと思う選択を、し直します。「まかない」
その選択が「真釣り」に合っていれば、当たり前ですが結果は嬉しい気持ち「花の嬉し」が頂けると言うわけです。
仮にその選択が「真釣り」に外れていれば、また「情けの苦」があるので
「まかない」でやり直しします。
正月の三日までは病院もお休みなので、藁をもつかむ思いで実践しました!(笑)
もちろん後日病院に行き、薬も飲みました。
熱で朦朧とする頭で考えましたが、けれどヤッパリわからない。
「真釣り」の定義ってなんなの???
【真釣り】成す申すは、唯ただ、マコトの響きが顕れ鳴るを申すのであるぞ。
火水伝文の感想
仕事で体調を崩した時に日月神示と出会い、以来三日坊主の割に続いています。
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下つ巻第十八帖 (六〇)
この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。
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年末寒波で布団に入り、ほぼ休眠状態の日々を過ごして居ります。
何となく趣味からも遠ざかり、ジッとしている事が多いかも。
とは言え、昨今購入した「火水伝文」も毎日少しずつ読見始めています。
ただひふみ神示と違い、帳ごとの区切りが無いので、内容を理解しつつ終わすタイミングに戸惑っている状態です。
平成4年(1992年)に纏められた本書ですが、1995年阪神淡路大震災以降の人工地震説を裏付けるような記述も有り、
(P9末〜P10冒頭より引用)
「〜由に申して居る、こ度の災難、転移転換の仕組みより受くるのでないぞ。神仕組みで無いぞ。汝等自身の仕組みし大変の事なるぞ。」!!!
いやぁ〜。ビックリしました。
つい最近流行りだした陰謀論を数十年前に暴露しています。
今が大変なのは分かります。
しかし「神業」も無い一般人が何をすれば良いのか?
しかし誰にも御用はあるはずです。
薄々感じていた惟神の道。
神さまは「真釣り」の意味から教えてくれています。
これは私の考えですが、
よくある体験で、ビギナーズラックって有りますよね?
でも以降頑張るけど、それ以上のラッキーレベル体験が有りません。
もしかして、その一度でもう充分だと決まっているのかもしれません。
また特に好きな事じゃ無いけど、何故か得意な事も有り、(反対もあり)結局それが生きる自信になっていたりします。
我を張って無駄な苦労をするよりも、神様が瞳[火・土・水]に映してくれた事に合わせ、暮らす事こそ「御用」じゃ無いかな?
本来なら、我空徳生さんより「下つ巻」を伝授され、考えなど述べるべきでは有りますが、、、。
それでは皆さん来年もお幸せに。
火水伝文(ひみつつたえふみ)?!
仕事で体調を崩した時に日月神示と出会い、以来三日坊主の割に続いています。
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上つ巻 第三十八帖 (三八)
残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋(すが)りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。神にも善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。いやならいやで他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。ひつきのか三。
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ひふみ神示も三巡目になりますが、あいも変わらず細々と信仰に励んでおります。
経典?は、ひふみ神示だけでいいとは思いますが、もっと内容を理解したく、本やネットを漁ったりしています。
そんなこの頃、日月神示の続きの神示が在る事を知りました。
(神示研究の諸先輩方はご存知でしょうが・・・)
それは「火水伝文」と言い、
1991年7月12日、東京在住のデザイナーの我空徳生(がくう とくお)さんの目に、降りた神示?です。
突然、目の前に文字が現れ、消えなくなり、それを書き出せば消えるのでは?と思い、仕方なく言葉を片っ端から写したそうです。
そして膨大なバラバラの言葉を、本人が納得出来る様繋ぎ合わせ、文章にまとめた物だそうです。
何となく、経緯的には「大本神諭」と同じでしょうか?
使われている古い丹波訛りは、ひふみ神示でも「大本神諭」へのイメージが多少は在ったのじゃ無いかと想像しますので、良いんじゃないでしょうか。
ネットで全文を掲載されているところもありました。
しかしー。ネットだけじゃ、何つうか、読ずらいし、信じられない様な気がします。
諸般の事情により、日月神示以外の信仰は出来ない為、良く読もしないうちから、巧妙な都市伝説の読み物か?などと勘ぐっておりました。
まして一般に販売はされていないらしく、
機会が無いのは読まなくても良いものなのでは?
と思っていた所、何となくスンナリ古本屋さんで買う事が出来ました。
⊙マークも付いてる!
書名に(ウエツフミ)と但し書きがあったことから、もう一冊あるのかなと思いましたが、纏められたものはこの本だけの様です。
「日月は経綸の計画書じゃ。火水は経綸のワケじゃ。 」
ともあるので、兎に角これから読んで行こうと思います。
こういった本を読んでると、心霊の「騎士」さんがラップ音で、"そこ違うぞー!"
的な注意をするんですが、少し読み始めた所では静かですので、個人的にはインチキ本でも無い気がします。
良くも悪くも、タイミング良すぎ!
補巻 月光の巻 第四十六帖
考えてゐては何も成就せんぞ。神界と交流し、神界に生き、神界と共に弥栄すればよいのぢゃ。人間だけの現実界だけで処理しようとするのが今迄の考えぢゃ。今迄の考えでは人間の迷ひぞと申してあろうがな。迷ひを払って真実に生きよ。みたましづめぢゃ。加実しづめぢゃ。そなたは信仰のありかたを知らんぞ。長い目で永遠の立場からの幸が、歓喜がおかげであるぞ。局部的一時的には いやなことも起ってくるぞ。天地を信じ、自分を知り、人を理解する所にこそ まことの弥栄あるぞ。だますものにはだまされてやれよ。一先づだまされて、だまされんように導いて下されよ。そなたはそんな場合に我を出すからしくじるのぞ。だまされてやろうとするからカスが残るのぞ。まことにだまされる修業が大切ぢゃなあ。
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この夏の酷暑で伸び放題になっていた草。
壊れたハウスの解体もままならず、このままでは森になってしまいそうなので、どうにか草だけは刈りたい所。
虫に刺されつつ作業も終わりかけた頃、何とタイミングよく、無料での解体引き取り業者さんが尋ねて来てくれました!
東京五輪を目前に、スクラップが良くなっているのか?
滅多にないチャンスなので、騙されたつもりで即決でお願いした所、、、。
何故か?ハニーの「ちょっと待った!」がかかりました。
所謂「ただより高いものは無い」!です。
頭から詐欺業者と思っている様です。
市役所の弁護士相談ぐらいならまだしも、まだお金を騙された訳でも無いのに警察署に相談しに行くに至っては、最近のドラマでやっている若年性アルツハイマーじゃ無いかと、ふと心配になるほどでした。
結局、誤解は解けたものの、解体の一件は無かった事で振り出しに戻っちゃいました。
それでもゴミ捨場状態から「自分で跡かたずけするしかない」!と、パピーのヤル気が出た事には間違いありませんでした。
「神との交流」程では無いです。
五十黙示録 補巻
月光の巻 第三十八帖
はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。
二月一日。
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もうちょっと色々勉強してから、再スタートしたかったんですが、・・・。
あいも変わらず、細々と信仰生活を送っています。
心霊の「騎士」さんは変わらず、色々注意のラップ音を聞かせてくれています。
前からそうでしたが、何となく朝の「お祈り」を重要視している感じ。
夜よりも。
前の日の夜、目覚ましをかけて居ない事を注意されたり。
もっと早く起きろ!みたいな音もあったり。
何より家族より早く、朝一番に「お祈り」が大切な感じでした。
リニューアルを目指し、
を読んでいますが、
P126 7行目 至恩郷の奉斎
「朝、吾が命を総って大神の御心のままに御使い下さいと礼拝し、空の皿(かわらけ)に誠の心をお供えし任せ切った平安な心で1日を過ごしますので、善だ悪だと裁く気がなくなり、大変楽になります。」等々との記載あり。
神様にこの身を惟神にお任せする事なんでしょうが、その代わりでは無いですが、色々と厄介な事から身を守る様にしてくれるのではないかと思う事があります。
まあ今日なんかは、突然の胸さわぎがしておりましたところ、結果!仕事の失敗がありまして。(T ^ T)
1時間ぐらい前からだったので、気分が悪いとの理由で早退も出来たのですが、そこはまだ身魂が磨けていないので、理由は分からず仕舞いでした。
しかし、、、人生逃げてばかりも行かないのです。
胸さわぎ程で無くても、些細な知らせも有り、丁寧に考えないと見落とす感じですが、今日は他にも有りました。
この状況を、自分が納得する様に敢えて理由を付けるならば、
日月神示に所縁のある心霊さんが、朝のお祈りを頂く代わりに、神の様に導いてくれるシステムがあるのではと?言う感じです。
偶然に今日、読んだ神示と虫の知らせ、本家の至恩郷の奉斎が一致しただけかもしれませんが、「いいタイミング!」という事で落ちとさせて頂きます。
以上、これからも不定期に更新していきます。
只今休載中。
リニューアルして再開を目指しています。