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ひふみ神示でいいタイミング!

ひふみ神示と日記

そろそろミミズの鳴き出す時期になって来ましたね!

光の巻    第七帖 (四〇三)

 

 アは元のキの神の子ぞ。ヤとワは渡りて来た神の子ぞ。 ㋳㋻は渡りて来る神の子ざぞ。十の流れ、十二の流れと今に判る時来るぞ、三ツ巴現はれるぞ、メリカ、キリスも、オロシヤも、世界一つに丸めて一つの王で治めるのぢゃぞ、外国人も神の目からはないのざぞ。今一戦(ひといくさ)あるぞ。早う目覚めて、け嫌ひいたさず、仲よう御用結構ぞ。竜宮の音秘殿、岩の神殿、荒の神殿、世界のカタハシから愈々に取り掛かりなされてゐるのざから、世界の出来事気付けて、早う改心結構ぞ。⊙(す)と二(ふ)と四(よ)との大きいくさあると知らしてありたが、一旦は二(ふ)と四(よ)の天下になる所まで落ち込むぞ、行く所まで行きて、ナのミタマとノのミタマの和合一致出来てからスのミタマが天下統一、世界一平となるのぢゃぞ。愈々大峠 取上げにかかるのざぞ。七月十九日、ひつぐの神。

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ここは火星じゃ無いですよー。

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ナの身魂とかノの身魂とか、チョット理解してませんが、あんまし仲が良くない者同士を日本のスの身魂がまとめてあげるって事ですよね?

 

カチコチの土にサラサラの砂状の牛糞とかを入れて、いい感じにするみたいな?

種から育てた苗を、そこに定植。

 

 腐葉土集めが趣味に加わりそう。

小さくとも、やってみなくちゃ。

人間は畑に出て、お日様を浴びるように作られている。

光の巻     第五帖    (四〇一)

 

 病神がそこら一面にはびこって、すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、余程 気付けて居りて下されよ。大臣(おとど)は火と水と二人でよいぞ、ヤとワと申してあろが、ヤ、ワ、は火の中の水、水の中の火であるぞ、後はその手伝いぞ、手足ざぞ、役人 自(おのづか)ら出来るぞ。ヤクはヤクであるぞ、今迄は神国と外国と分れてゐたが、愈々一つにまぜまぜに致してクルクルかき廻してねり直して世界一つにして自ら上下出来て、一つの王で治めるのぢゃぞ。人民はお土でこねて、神の息入れてつくったものであるから、もう、どうにも人間の力では出来ん様になったら お地(つち)に呼びかけよ、お地(つち)にまつろへよ、お地(つち)は親であるから親の懐(ふところ)に帰りて来いよ、嬉し嬉しの元のキよみがへるぞ、百姓から出直せよ。ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ。六月十七日、ひつくの神。

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   臣民はお土をこねて、神の息を入れて作った。

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シュメール神話アヌンナキの人間創造とおんなじ!

 

   粘土板を解読したゼカリアシッチンは凄いけど、ストーリー中の神のセリフが今風で、そこがウソっぽく感じられたのかな?

 

   百姓から出直せよ。という事で、本日玉ねぎの収穫完了しました。

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   最近気づいたことで、我が家は関東地方なのですが、森の中なので日照時間が短く寒冷地域に当てはまるんじゃないかという事。

  更に土も粘土質で、土壌の改善が必要です。

 

   親も高齢になると自分のことで精一杯、頑固にもなりますよね。

 

 

与えられたものは、お金?愛情?

光の巻   第四帖    (四〇〇)

 

 まつりてない時はお日様とお月様おろがめよ、マトとせよ。裁判所(しらす)いらんぞ、牢獄(ろうや)いらんぞ、法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ、国も同様ざぞ。そんな事すれば、世の中メチャメチャぢゃと申すであらうが、悪人がとくすると申すであろが、誰も働かんと申すであらうが、与へる政治だめぢゃと申すであろ、人間の小智恵ぢゃ。其処に人間の算盤(そろばん)の狂うたところ気付かんか、上に立つ人もっともっと大き心 結構ぞ、算盤なしで梶とらすぞ、神の申す通りに進むのぢゃ、これが出来ねば一段さがって頭下げてござれ、余り大き取違ひばかりぢゃぞ、悪の守護となってゐるからぢゃ、此処の道理判るまでは動きとれんのぢゃぞ。世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱(かむはしら)現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから、皆 仲良う手引き合ってやって呉れよ。六月十七日、かのととり、ひつくの神。

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   今日もバイトは生産が遅れて忙しかったです。

少しの蓄えはあるけれど、やはり収入は必要で、やりたくはないけど仕方ないです。

   はじめに与える政治をすると、遊んでばかりかと言えばそうでもなく、各人お金のしがらみが無くなり、よりやりたい、やりがいのある仕事につくと思う。

勉強したり、家族のため家庭に入る人もいるかも。

 

ベーシックインカムとは何か? なぜ、いま議論が盛り上がっているのか? | BUSINESS INSIDER JAPAN

 

    別にゴルフはプロになる程好きじゃないし、タダで得意な趣味を教える人が出てくるかもしれない。

 

   ポクなんか大した能力ないので、体を使う汚い仕事は今以上に高収入で必要とされるかも知れない。

 

 

  人間だれしも最初から泥棒や犯罪者じゃない。人生のどこかで、冷たい気持ちを感じたからでしょ。

 

因縁の五十九の身魂の人は、今どうしているんだろう?

ひかりの巻    第1帖   (三九七)

 

 光の巻しるすぞ、地(くに)の日月の神とは臣民の事であるぞ、臣民と申しても今の様な臣民ではないぞ、神人共に弥栄の臣民の事ぞ、今の臣民も掃除すれば九二(くに)の一二(ひつぎ)の神様となるのざぞ、自分いやしめるでないぞ、皆々神々様ざぞ。もの頂く時は拍手打ちて頂けよ、神への感謝ばかりでないぞ、拍手は弥栄ざぞ、祓ざぞ、清めぞと申してあらうが、清め清めて祓ひてから頂くのざぞ、判りたか、次の五の巻の謄写(とうしゃ)は四十九でよいぞ、十は神よきに使ふぞ、前のも十はよきに使ふたぞ、判りたか、皆に分けるぞよ、三は十二の巻のなかからよきに抜きて謄写よいぞ。サイトウ、ヒノ、マスナガ、カザマ、サトウ、ハヤシ、サイ、カネシゲに神示取らせよ。合わせて四十九の身魂。二月二十四日、ひつくの神。

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  最近は[完訳]日月神示を読んでいます。どうも最初は[完訳]の意味を、余り良く思わなかったのですが、「訳」の意味が分かり納得しました。

 

こちらのサイトで詳しい解説、神示の歴史などが見れました。

すめらみち

 

ポクのように個人で更に、うす〜っぺらいブログだと恥ずかしいですが、最終は個人が生活に取り入れる物ですから、まぁ良しとしますか。

ポクは長生きせず、早めにしたいので、これ始めたんですが。

地震の巻     第十八帖 (三九五)

 

 神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。故に、霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分により、段階によって自ら定まる。為にその用は無数であり、且つ千変万化する。歓喜第一、神第一の奉仕が霊人の職業である。故に、自分自身の我が表に出た時は、力を失い、仕事を失い、苦悩する。霊人の仕事は限りなく、地上人の仕事以上に多様であるが、より良さ、より高さ、より神に近い霊人生活に入るための精進であり、喜びであることが知られる。そして、その何れもが神の秩序、即ち大歓喜の秩序、法則によって相和し、相通じ、全般的には一つの大きな神の用をなしているのである。故に、何れの面の用をなすとも、自己というものはなく、弥栄あるのみ、神あるのみとなる。なお注意すべきことは、霊界において、権利なるものは一切感ぜず、義務のみを感じているということである。即ち、義務することが霊人の大いなる歓喜となるのである。為に、命令的なものはない。只、ひたすら奉仕があるのみである。その奉仕は地上人であった時の職業と相通ずるものがある。何故ならば、霊と物とは対応しているからである。生前は生後であり、死後はまた生前であって、春秋日月の用をくりかえしつつ弥栄えている。従って、霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である。歓喜は物質的形体はないが、地上世界では物質の中心をなし、物質として現われるものである。霊界に於ける春は、陽であり、日と輝き、且つ力する。秋は、陰であり、月と光り、且つ力する。この春秋のうごきを、また、歓喜と呼ぶのである。春秋の動きあって、神は呼吸し、生命するとも云い得る。また、悪があればこそ生長し、弥栄し、且つ救われるのである。故に神は、悪の中にも、善の中にも、また善悪の中にも、悪善の中にも呼吸し給うものである。

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 今日は大雨。この頃いつも憂鬱なのに尚更です。

まさか五月病

あーっストレスは有るかな?

 

仕事でも遊びでもお手伝いでも、なんつーか理想に近づきたいみたいな?

 

でも結局、小さい発見を楽しめる事が上達の条件だと気づく。

 

親の老化も止められません。

我が家には美しい老化像はないなぁ〜。

楽しめるかなぁ?

 

老後には、ほどほど趣味が必要!

 

 

神様の歩行補助装置貸して!

地震の巻   第十六帖  (三九三)


 考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。霊的な内奥の自分からである。この内奥の自分は、神につながっている。故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。其処に、人が地上に於ける司宰者たる、また、たり得る本質がある。地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚がある。これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来るのである。しかし肉体をすてて、霊体のみとなり、霊界で活動するのであるから、物質は衣にすぎないことが判明する。肉体をもっている地上人の場合は、その肺臓が想念の現われとなって呼吸する。霊界に入った時は、霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。また、心臓は、その情動の現われとなって脈打つ。霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。この二つのうごきが、一貫せる生命の現われであって、生前も、生存中も、死後も、また同様である。肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体のそれは停止されないのである。かくて、霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっている。為に死後の最初の生活は生存時と殆ど同一であることが判明するであろう。故に、其処には地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じている。而して、霊界に於ては、先に述べた如き状態であるが故に、各人の歓喜は、死後の世界に於ても、生前の世界に於ても、これに対応する霊的の事物と変じて現われるものである。この霊的事物は、地上の物質的事物に対応する。人間が、物質界にいる時は、それに対応した物質の衣、即ち肉体をもち、霊界に入った時はそれに相応した霊体をもつ。そして、それはまた完全なる人間の形であり、人間の形は、霊人の形であり、神の形であり、更に大宇宙そのものの形である。大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、又内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。大歓喜は無限であり、且つ永遠に進展して行くのである。変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。この二つは、あらゆるものに共通であって、植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。人間の場合は、その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。これはもはや心臓と表現するには あまりにも精妙にして、且つ深い広い愛であり、肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。而して、この二者は一体にして同時に、同位のものとなっていることを知らねばならない。それは心臓としての脈拍でもなく、肺臓としての呼吸でもない。表現極めて困難なる神秘的二つのものが一体であり、二つであり、三つの現われである。其処に人間としての、他の動物に比して異なるもの、即ち、大神より直流し来るものを感得し、それを行為し得る独特のものを有しているのである。人間が、一度 死の関門をくぐり、肉体をすてた場合は、霊そのものの本来の姿に帰るのであるが、それは直ちに変化するものではなくして、漸次その状態に入るのである。第一は極外の状態、第二は外の状態、第三は内的状態、第四は極内的状態、第五は新しき霊的生活への準備的状態である。七段階と見る時は、内と外との状態を各々三段階に分け、三つと見る時は内、外、準備の三つに区分するのである。

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最近高齢者の自動車事故のニュースをよく見る。

危険な事も分かるんですが田舎じゃ、車に乗れなきゃ生活が本当に大変ですよ。

 

パピーも仕方なく自転車に腹をくくってくれたので、ポクも出来るだけサポートしたいと思うのですが、これもまた大変。

 

プロテインを飲まして、まだまだ頑張って貰う作戦です。

2233(4)Deities with Walking Devices【Part 2】神々の歩行補助装置を付けた古代の神々たちbyはやし浩司Hiroshi Hayashi - YouTube

樹海の糸 Cocco。ハウスと気持は絡まる様に出来ている。

地震の巻 第十四帖 (三九一)


 霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。其処には、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。即ち、時間はないが状態の変化はある。故に、霊人たちは時間の考えはなく、永遠の概念をもっている。この永遠とは、時間的なものは意味せず、永遠なる状態を意味するのである。永遠と云うことは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである。故に、霊人が地上人に接し、地上人に語る時は、地上的固有的な一切をはなれて、状態とその変化による霊的なものによって語るのである。しかし、この霊人の語る所を地上人がうけ入れる時は、対応の理により、それが固有的地上的なものと映像されてくるのである。また、地上人に感応して語る時は、その霊媒の思念を霊人の思念として語るが故に、固有的表現となり、地上人にも十分に理解しうるのである。多くの地上人は、霊人を知らない。霊人には、地上世界に顕現する総てのものの霊体が存在すると云うことを中々理解しないし、霊人は反対に、霊界を物質的に表現した物質地上世界のあることを中々に理解しない。但し、死後の霊人は、相当に長い間 地上世界のことを記憶しているものである。地上人が、何故 霊界のことを理解し難いかと言うと、それは、地上的物質的感覚と、地上的光明の世界のみが、常にその対象となっているからである。例えば霊人とは、地上人の心に通じ、或いは、心そのものであると考えるためである。つまり、霊人は、心であるから、目も、鼻も、口もなく、また、手足などもない、と考えるからである。所が実際は、霊人そのものが手をもつが故に地上人に手があり、指をもっているが故に、地上人に指が生ずることを知らなければならない。しかも、霊人は、地上人より遥かに精巧にできていることは、それを構成するものが精巧であることによって立証されるであろう。霊人は、地上人にまして一段と光明の世界にあり、一段とすぐれた霊体を有している。霊界に於ける事物は総て霊界における太陽と、太陰とによりて生れてくる。それは、地上に於ける場合と同じである。太陽と、太陰との交叉により生ずる歓喜によって、その生れたるものは更に一層の光輝を放ち、弥栄となる。また、霊界には物質世界の如く空間はない。このことを地上人は中々に理解しないのである。霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。霊界に距離はない。空間もない。只、あるものはその状態の変化のみである。故に、離れるとか、分れるとか云うことは、内分が遠くはなれていて、同一線上にないことを物語る。物質的約束に於ける同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである。

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今日も早、夏日和。

梅雨が来る前に何とかしたい!

やる気こそが、キが重要なんだけど。

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   しかし神様は、人間なんてどうしようもない物を作ったもんだよね。

しかもポクを含め、お願いばかり多くて全部は聞いてらんないんじゃないかな?

 

もう三千世界の大建て替え!?

魂のシステムを根本的に変えないと駄目だね。

あっ、わざわざ人間の為にするんじゃなかった。